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小説

小説、西暦2052年

クレージー ジャパン

敏彦は健康で呆けない自分を疎ましく思った。
年金や健康保険等のすべての社会保険の給付が停止されてもう2年が経つ。
75歳になって風邪でしか病院に行ったことはないが、なにせ高齢だから、いつ大病に襲われるか分からない。そうなったら資産は一気に減ってしまう。
女房は7年前にがんで逝ってしまった。しかし、こんな時代を見ずに済んだのはかえって幸せだったかもしれない。
自分が築いた財産だ、誰に遠慮することがあろうか!と、言いたいところだが、言えない。
長男の和夫は一流国立大学を出て、大手建築会社に就職し、30歳で結婚し、二人の息子と一人の娘にも恵まれ、 38歳にはマイホームを建てるといったまじめで順調な人生を歩んできた。
それでも50歳を過ぎた今では、政府のさらなる公共事業縮小もあって会社は赤字続きで、給料は毎年下がっていき、早期退職の募集が何回もおこなわれているらしい。
三人の子供達は、長男は国立の大学生だが、次男はそれ程勉強ができずに二流の私立大学に通っている。
娘はまだ高校生だが、私立の女子大に行きたいと言っている。
政府の教育費予算は毎年削られる一方だから、教育費の負担が大変で、貯蓄なんか一切できないと嘆いている。
次男の秀彦と言えば頭痛の種だ。
一応大学は出たが、就職は決まらず、その後は自由人を気取ってバイトや派遣社員を続けている。
50歳近くにもなってまだ独身だ。
結婚するにもこんな経済状況ではできないのだろう。
本人は口には出さないが、悩んでいるのかもしれない。
そう思うと強いことも言えない。
息子二人がこんな状況なので遺産はできるだけ多く残したいと考えている。
また、こんな社会にしたのは我々も含めた我々以前の世代の責任だという負い目もある。
しかし、自分が生きて生活しているだけで財産は日々減っていくのだ。
しかも、2年前からは収入は一切ないにしても、70歳以上の個人の財産に税金がかけられるようになった。
この世から早くいなくなれと言わんばかりの法改正がいくつも2年前から施行された。
70歳以上の者の安楽死免罪法、70歳以上の個人に対する社会補償給付停止法、70歳以上の個人資産に対する外形標準課税の導入・施行、 70歳以上の個人財産の生前相続法などである。
膨大な財政赤字問題が解決するまでの時限立法だと言うがいつまで続けられるか見当もつかない。
2050年には財政赤字が2500兆円に膨れ上がりGDPの6倍に達した。65歳以上の人口が3600万人で全人口の40%、 生産年齢人口1人に対し1.0人と肩車方となった。
社会保障費は年間170兆円と国家予算の1.5倍といろいろと言い訳をして本格的な財政改革を行わなかったツケが一気に限界に達した。
政府は消費税12%から20%に一気に上げ、70歳以上の切り捨て政策を打ち出し、それもやむを得ないという雰囲気の中で政策は次々と実行されていった。
老人の死亡者数が一気に増えた。マスコミはあえてその問題を取り上げなかった。
お金のない体の弱い70歳以上人々は常に暗黙に死を強要されている状況だった。
そんな社会情勢の中で70歳以上の人々の手で姨捨山または桃源郷という地域が各地につくられ増え続けている。
70歳以上の人々の自給自足及びホスピスの村だ。
国もそんな人々に対して国有地の使用許可を簡単に与えた。

居場所を求めて…

元家具メーカーのオーナー社長だった酒井邦夫はこの富士の裾野に広がる姨捨山と世間から見られている共同体を外部の人間から羨ましがられる理想郷にすることに闘志を燃やしていた。
志を同じくする仲間も多くいた。小さな家具屋を開店した若い頃に戻ったみたいで嬉しかった。
この共同体の名前は青春村だ。この命名に異議を唱える者はいなかった。
皆の思いは同じだった。
青春村の住民になる条件は70歳以上で遺産相続も済ませ、家族に対する責任を済ませた者で、お金持ちはお金を、建築や農業等の技術のある者は技術を青春村に提供することであった。
世間から見捨てられた住人達は、その存在価値を示そうという反発精神と熟練された知恵と潤沢な資金とで急速な勢いで理想郷を築いていった。
東京や神奈川等の関東の大都市圏に近いこともあって人口は急速に増え、1年半で30万人を超えている。
村内では通貨は流通していない。お金を使うには村外から物やサービスを購入するときや売却するだけである。村内では住人である身分証明書を常に首からぶら下げている。 この身分証明書さえあれば村内ではすべてのものを分かち合えるし、分かち合わなければならない。
住人の資格はもちろん70歳以上であるが、一緒に村づくりをしたいという若者が増え続けている。
坂本幸雄はそんな若者の中で一番初めにこの村を訪れた。
幸雄はリュック一つだけを背負って疲れた面持ちで、ふらっと夕方に、できて1ヶ月も経たない村に、テント内で大勢が食事をしていたところに現れた。
「どうか皆さんの仲間に入れてもらえませんか」と、唐突にまっすぐ正面を見て言い出した。
一斉に会話が止み、視点は幸雄に集中した。
この病的な表情の青年をどのように扱っていいのか困惑からしばらく沈黙が支配した。
沈黙を破ったのは邦夫だった。
「とにかく、話を聞こう。その前に腹が空いているんじゃないのか」
幸雄は黙って頷いた。
「だれか握り飯を彼に渡してくれ」と、言うとモンペ姿の老女が皿にのせた3つのおにぎりを持ってきた。
幸雄はその場で胡坐をかき、そのおにぎりを頬張った。
お腹が満たされた幸雄は強烈な眠気が襲い、その場で眠り込んでしまった。
幸雄のそれまでの人生は恵まれていなかった。
家は両親共働きの普通のサラリーマン家庭で゙、上二人が姉の長男だった。それぞれ二つ違いの三人兄弟だったので幸雄が高校生になると兄弟三人ともは大学生と高校生だったのでほとんど補助金が出ない教育費で家計は逼迫した。
幸雄は真面目に勉強もし、バイトもし、その上奨学金ももらって地元の国立大学を卒業した。
そして、地元の大手の建設会社に正社員として入社した。
幸雄はやっと努力が報われた、と思った。しかし、会社は入社して3年目で倒産した。
公共事業の予算が大幅に削られのが倒産の大きな要因だった。
幸雄はすぐに就職活動を始めた。就職先はなかなか決まらなかった。
実務経験のある建設業界は不景気のため新卒を採用するだけで、中途採用する余裕はどの会社もなかった。
最低、大手の正社員という条件で求職したが、なかなか決まらず、失業手当が切れる月に全国展開の居酒屋チェーンの正社員として就職先が決まった。 地元の熊本から通いたかったが、我儘は言えなかった。
本社のある大阪に引っ越すことになった。
それからが地獄だった。
本社での採用は営業職ということだったが、いきなり、副店長という肩書で現場の居酒屋に出された。
副店長と言っても部下は全てバイトだった。
幸雄は、だまされた!と、思ったが、中途採用の正社員の求人がほとんどないことを求職活動で痛感していたので頑張ってみることにした。
仕事は予想以上に過酷だった。
開店準備のため朝10時に出社し、開店が17時から翌日の1時まで、その後に片付けをして帰れるのが2時過ぎだった。 帰って就寝できるのは3時、4時だった。
定休日は日曜の週一日だけだった。いつも疲れ切っていてほとんど寝ていた。
残業代は管理職だと言って支払われなかった。休ませてくれと言っても代わりがいないと言って休ませてくれなかった。
転職は何度も考えたが、正社員での採用は無理だと決めつけていた。
そんな過酷な毎日を続けているうちにだんだんと思考能力がなくなっていき、奴隷のように気持ちになり、喜怒哀楽の感情がなくなっていった。
そんなときに食事をしながらテレビを見ていたら青春村のことが報道されていた。
国が国有地を提供されたことばかり強調されていたが、そこは国が見捨てた人々が集まっていることは大人なら、すぐ理解できた。
幸雄はテレビを見ているうちに自分はここに行きたい、行かなければならないという衝動に駆られた。
何の根拠もなかった。
とにかく青春村に行くことが自分の運命だとしか思えなかった。
その日の朝に幸雄は勤務先の店舗ではなく、本社に出社して辞表を提出した。
人事の担当者は、お前を正社員として採用してくれる会社なんかないぞ、とさんざん脅してきたが、幸雄はひるまなかった。
あの報道を見る前ならすぐに引き下がったかもしれないが、青春村が根拠なき心の支えになっていた。
最後には労基署に訴える、と言ったら担当者は黙って辞表を受け取った。
そして、その足で電車に飛び乗り青春村に向かった。
荷物もそれほどなく、住んでいたのはぼったくりみたいな会社の寮だったので会社に辞表を提出すれば何の問題もなかった。
幸雄の夢の中では大阪に行ってからのつらい日々が走馬灯のように巡っていた。
うなされて目が覚めるといつの間にかテントの中のベッドに寝かされていた。
外はすでに明るくなっていた。何時間寝ていたのだろうか、全く分からなかった。
しばらくボーッ、としていたら邦夫がテントの中に入ってきた。
「お目覚めか?それじゃー話を聞こうか」と、ベッドの横のパイプ椅子に腰掛けた。
幸雄はゆっくりと起き上がりベッドの上に腰を掛け邦夫と向き合った。
優しさの中に力強さを感じる声に初めて会話するのに素直に話す気持ちになった。
やせた老人に見かけでは感じられない包容力を感じていた。
「この村のリーダーの方ですか?」
「いや、ここにはリーダーはいない。各々平等で、役割分担だけがある。この村の創設者の一人で調整役の酒井だ」
言葉に幸雄は志を感じた。
この村を目指した予感は当たっていた、と思った。
幸雄はここに来るまでの経緯を隠すことなく素直に一気に話した。
「ここに来て、何がしたいんだ? 」
「そもそもなぜここに来た。ここは70歳以上の世間から見放された住民が住む村だ。」
「分かりません、テレビでこの村を知ったときに自分の居場所はここしかないと思ってしまったんです。
ここなら、いや、ここしか自分を活かすことが所はない、ここなら自分が必要とされる、期待される存在になれる、と思い込んでしまったのかもしれません。
追い詰められた自分がここを勝手に逃げ場として選んでしまったのかもしれません。」
「世間から見放された状況に自分と重ね合わせて共鳴したということか?
迷惑な話だし、馬鹿にしている」
邦夫はそう言いながらも怒った様子もなく、穏やかであった。
「申し訳ありません」
幸雄は素直に謝る気持ちになった。
「まあ、いいだろう、しばらくここにいろ。しかし、資格がない以上住民にすることはできない。
どれくらい長くここに居れるかは君次第だ。
よく考えてみることだ。
君は決して愚かではない」
幸雄は、愚かではない、という言葉が胸に沁みるほど嬉しかった。
幸雄のそれからの活躍は目覚ましかった。
村では自給自足を目指して農地の開拓やインフラ整備を行っていた。そんな中で幸雄は積極的に肉体労働を行った。70歳以上の住民の中でその成果は目立っていた。
「やっぱり若い者にはかなわないな」
自分達だってまだ若い者には負けないと、気負っていた住民もそばで作業している幸雄との進行速度があまりにも違うことを見せつけられて自信を失った。
「皆さんは今まで社会的地位や資産を築かれてきた立派な方々です。それに比べて私はダメ人間です。しかし、肉体に関しては衰えるのは仕方ありません。 もっと若い力を借りたら如何ですか」
住民は自分達だけでこの村をつくりあげることに拘っていた。また、できると信じていた。それで住人の孫や昔の部下が村づくりを手伝うというのを、あえて拒んでいた。
幸雄は数日滞在しただけでこのままでは村のハード面の整備は遅々として進まない、と考えていた。住民のプライドが邪魔していたのだ。
幸雄は自分が先頭に立って桃源郷実現のために若者を集めようと考えていた。そして、周りの住民にそのことの必要性を繰り返し訴え続けた。
住民達は次第に賛同者が増え、また、幸雄の言うように自発的な他人の援助は恥ではなく、 国の税金や援助を受けないことが住民のプライドだという考え方を受け入れる様になっていった。
幸雄はSNSを使って全国の支援希望者を募った。
支援者は日を追って増えていった。
数万人に膨れ上がった支援者の受け入れ準備や作業配置指示のリーダーとなり、幸雄は懸命に働いた。
幸雄はここに来たことが間違いではなかったことを確信するようになった。

桃源郷への道

青春村の住人は元は社会的な地位の高い経営者や政治家や高い技術を持った元建築家や技術者や料理人等も多くいる。
訪れる支援者の中には彼らの元部下や関係者も多くいた。現場には来なくても資金的な支援をする関係者も多かった。 また、全国から寄付金も多く寄せられ、労働力と資金力には事欠かなかった。
国の財政不足が生んだ共同体が潤沢な資金を持つようになるとは皮肉な現象だった。その上、人材も豊富で、結果的に育成して世間に戻す、 というシステムが出来上がっていた。
前述したように青春村の住人は高いスキルを持った大勢いる。彼らがやってくる若い支援者にマンツーマンで指導して一緒に村を築いていく過程で若者が育っていったのだ。
そんな若い支援者の中には就職に失敗し、派遣やバイトで働き続けている若者も多くいた。
彼らの中にはその貢献度とスキルアップが認められて住人が経営していた会社や強い人脈持つ企業の正社員に採用された。
その様子はマスコミに取り上げられ、ますます支援者の数は増えていった。そして、インフラの整備は急速に整えられ、住人の数もそれに伴って急激に増えて、 わずか1年半で30万人と、ちょっとした大都市並になった。
長瀬敏彦は邦夫に紹介された幸雄と面談していた。
青春村の住人になるための手続きをするためである。
敏彦は邦夫がオーナー社長を務めていた大手家具メーカーのメインバンクの融資担当役員であった。
二人は相性がよかったためすぐにプライべートでも酒を飲みかわす仲になった。
                                            つづく

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