この写真はマリナタウン海浜公園から対岸の福岡タワーや福岡ドームを臨んだものです。
マリナタウン海浜公園は文字通り大きなマンションが群立するマリナタウンという住宅街の一画に位置しているため静寂を保っています。
天気のいい日に私は時々この光景をベンチに腰掛け、本を読みながら眺めています。そうしていると水の中でゆっくりと沈んでいくように気持ちが自然と落ち着いていきます。
なぜでしょう?
休日には福岡タワー付近は人も多く騒然としているはずです。しかし、距離が離れているためそれらの音は微塵も聞こえてきません。また、動きも全く見えません。
静止画を見ているような不思議な感じです。
まるで時間が止まったような感覚に襲われます。
福岡タワーは上に向かって直線的な体を伸ばし、今にも天に槍を突き刺そうとしています。
周りのビルはその様子を仰視しています。
福岡タワーに注目が集中しています。
そのことがスマートで人工的な美しさをより際立たせています。
非現実的な世界に迷い込んでしまった錯覚に陥ります。
煩わしい現実から離れたことから得られる安堵感に浸ることができます。
そんな体感がしたくて私はこの場所に何度も足を運ぶのかもしれません。
私が小学校に入学する前の事なので半世紀以上も前の話になります。
我が家では本来なら敵対し合う奇妙な組み合わせでペットを飼っていました。
犬、猫、チャボの3種類を1匹ずつです。
それもそれぞれ生まれたばかりを同時期に飼い始めました。
なぜそうなったかと言うと分かりません。
記憶が失われたのか、当時幼い私が理解力に欠けていたのか、恐らく両方だろうと思います。
今となってはいつの間にかそういう状況になっていました、としか言いようがありません。
ペットショップなどという洒落たものは成人になるまで見たことも聞いたこともないので3匹はどっかから親がもらってきたか、拾ってきたのでしょう。
さすがにチャボは捨てられていないだろうからもらってきたのでしょう。
犬は白い中型犬、当時人気のあったスピッツの血が入っていると親が言っていた記憶がありますが、スピッツの血が入っているとは思えない太くて短い足でした。
猫はそこらへんにいる色が数色混ざった普通の雑種でした。
チャボは黒、チャボと言うのはニワトリを小型化した鳥と考えていただければいいです。
名前は犬がメリー、猫とチャボは記憶にありません。忘れてしまったのか、もともと名前がなかったのか、不明です。
私はこの3匹を自慢したい。
本来なら憎しみ合って当然の3匹が兄弟のように仲睦まじく、お互いのことを思い合っていたのです。
それは一瞬の出来事だった。我が家の猫が私の目の前に突然現れると、その後に見知らぬ犬が通り過ぎた。
我が家のかわいい猫が犬に追いかけられている!
状況が把握できた瞬間に私は固まってしまった。
何とかしなくてはという気持ちが走ったが、犬が怖い。
二つの気持ちがぶつかって体が動かなくなった。
その時にメリーが猫と犬の間に斜めから吠えながら突っ込んできた。そして、犬の前に立ち塞がると唸りながら威嚇した。その迫力に犬は逃げ去った。
メリーは胸を張り、誇り高き勇者のように闊歩している。
猫は甘えた声を出してメリーに近づいていった。
なんとメリーはカッコいいのだろう!
私は心の中で自分が何もできなかった後ろめたさも忘れて賞賛の拍手をした。
もし多くの観客がいたら間違いなくスタンディングオーベンションしたであろう。
メリーはまさしくヒーローであった。
三匹は本当に仲がよかった。
メリーの上にチャボが乗り、猫が傍らにいて一緒に昼寝をしている光景も覚えている。
もう一つだけ心に残っている光景がある。
それはメリーの最期の姿である。
私は朝起きてすぐに大好きなメリーと遊ぼうと犬小屋へ行った。
そこにはいつも笑顔で迎えてくれるメリーの姿はなく、こちらに4本の足裏を見せて横たわっていた。
私は衝撃で泣くことすらできなかった。
メリーの口は牙をむいた様に半開き状態だった。
安らかに死を迎えたとは思えなかった。
鎖につながれ、助けを求めたくても求められなかったのだろう。
つながれた鎖は長く伸びきっていた。
あれだけ輝いていたヒーローにこんなみじめな死を迎えさせた自分が情けなかった。
今でもメリーにはかわいそうなことをしたと思っている。
私は茫然とメリーの死体を見ているところで記憶は終わっている。
そこには猫もチャボもいない。
2匹もいなくなっていたと思う。
2匹の最期は記憶にない。
私は2匹の死体を見ていない。
私の3匹に関する記憶は以上である。
ほとんどの記憶が失われる中で半世紀経った今でも残っている幼い記憶はその場面が大きなエネルギーを持って私の中に放射されたに違いありません。
そして、今後も残り続けるでしょう。
記憶は氷山の一角で、その下には3匹が残してくれた多くの温かいものを今でも感じることができます。
半世紀以上過ぎようと3匹は私の誇りであり、メリーは私のヒーローです。
この写真は福岡市の小戸公園にある堤防アートです。
なかなかグロテスクでしょう。
訳の分からない生き物の眼光は本当に光を放っているように見えます。
丸い顔にそれとは対照的な切り立った歯の組み合わせは恐ろしくもあり、滑稽でもあります。
獲物の魚が大きいのか、この生き物が小さいのか、その大きさは判然とはしません。
恐竜?トカゲ?ワニ?どれに近いのでしょうか。
二足歩行にも見えるので、もしかしたら哺乳類?
どれもピタッとこないから地球外生物かもしれません。
ひょっとしたら描いたのは宇宙人かもしれません。
俺の作品だ!と、言われている地球人の方がおられたら、ごめんなさい。
どうであれ、作品の良し悪しは分かりませんが、あなたの作品が一番目立って、異彩を放っていましたよ。
これらの写真は5月4日博多どんたくのどんたく広場の様子です。
東京ディズニーシーから15周年スペシャルパレード「ザ・イヤー・オブ・ウィッシュ」がやってきました。
ミッキィーもミニーもドナルド、そしてチップ&デールも来福しています。
この日に東京ディズニーシーに行かれた方々は残念でした。
ミッキィー、ミニー、ドナルド、チップ&デールは福岡に出張中で、不在でした!
花自動車勢ぞろいです。
昼間も華やかですが、やはりLED電球を発光させながら走る夜見る姿の方がより美しく映えます。
さあ、いよいよどんたく花のマーチングパレードの始まりです。
整然として行進しているのはまだ幼い幼稚園児達です。
その姿は凛として大人びています。
私は幼稚園児のときに市民館で行われたお別れ会で最初の挨拶をしたことがあります。
数百人の観衆の前で緊張してしまった私は「お父様、お母様、よくいらしゃいました。…」と、その後のセリフがすべて飛んでしまいました。
どうしたらいいか分からず、壇上の右横にいた、かくしゃくとした女園長の顔を見ました。そうしたら、園長は優しく頷いてくれました。
安心した私はセリフを思い出すこともなく、最後の「…ありがとうございました」と、だけ言って壇上から去ってしまいました。
最後の挨拶をした園児が立派な挨拶をしただけに私の失態は余計に目立ってしまいました。
帰ってから「こんな恥ずかしい思いをしたことはない!」と、母親に悲しそうに言われ、恥知らずの私もさすがに親に申し訳ないという気持ちで一杯になりました。
そんなことを目の前の立派な園児達の姿を見て思い出してしまいました。
まだ6月なのに日本各地で夏日を記録しています。
今年の夏も暑くなりそうです。
これからやってくる猛暑を乗り越えるために涼景を頭に刷り込んでおいて暑いときに思い出してください。
川、風…
…そして、木陰。
さあ!川、風、木陰、と写真を見ながら繰り返し呟きましょう。
毎年、7月1日から15日にかけて博多祇園山笠が開催されます。博多祇園山笠は700年以上の伝統のある祭りです。
その中で飾り山笠が天神と博多周辺14ヶ所に設置されます。その中の3ヶ所をご紹介します。
まず、ソラリア館に設置された十二番山笠の表表題が「決戦川中島」です。
有名な武田信玄と上杉謙信の戦いを描いています。
次は新天町にある十三番山笠、「須佐之男切大蛇」です。
日本神話の中でも映画になったりして有名な「八岐大蛇退治」の一場面を表現しています。
三番目は天神一丁目の十五番山笠で表表題が「大阪冬の陣」です。
今年の大河ドラマ「真田丸」の主人公である真田幸村の勇壮を描いています。
それぞれの山笠は博多人形師によって作成され、絢爛豪華さを競っています。、
本日は2016年10月24日、シーサイドももち海浜公園からです。
自宅から近いのに今年初めて来ました。
ビーチはご覧の通り夏の賑わいが走り去った後です。
この年齢になるとギラギラしたものが苦手になって、ビキニの若い女性を間近に見たら、きっとショック死します。
結界が解けて、やっと来ることができました。
秋晴れの空と人がまばらなビーチは意外と相性がいいです。
本日は2016年11月9日、
トランプがアメリカ大統領に決まった日、
近くの博多で道路が陥没した日の翌日です。
地球的にはとても大きな出来事です。
しかし、宇宙的には何の変化さえ感じられず、日常が過ぎるだけかもしれません。
光り輝くクリスマスツリーを見たら、そんなことを考えてしまいました。
イルミネーションが美しいです。
なぜなんでしょう?
それは美しい光だけが見えて、汚いものは夜の闇に隠れているからです。
世の中の美しいものはそんなものかもしれません。
近くの姪浜住吉神社で厄祓祈願をしました。
10分くらいのご祈祷をしていただき、写真のような厄除けキットをいただきました。
料金は締めて5,000円也。
これを高いと考えるか、安いと考えるか?
私は妥当と考えています。
住吉神社という看板、古い歴史、神社内の荘厳な雰囲気、
そして、2005年のクイズミリオネアで見事、宮司さんがパーフェクト達成!賞金1,000万円を
福岡西方沖地震によって損壊した大鳥居や御神門・社務所や塀などの修復に使った、というエピソードが付いた
総合ブランド力の前に5,000円は決して高くはないと納得しています。
独立後、このブランド力がどれだけ重要なものか、思い知らされています。
どなたか、我に、ブランド力を与え賜え!
東京での大学のゼミの同期OB会に参加してきました。
ゼミの仲間とは36年ぶりの再会です。
各地を転々とし、行方不明だった私をホームページから捜してくれました。感謝!
翌日、以前よく行っていた上野公園に久しぶりに来ました。
この2日間で心が非常に豊かになった気分です。
最近読んだ「ライフ シフト」の著者が書いていた無形の資産の中の活力資産がぐんと増えました。
人生には有形の資産だけではなく、無形の資産が必要であることを痛感しました。
今後はFPとして有形とともに無形資産の貯蓄の重要性も訴えていきたいと気持ちを新たにしました。
2017年4月12日、福岡、晴天。
桜、やっと、満。満。満。満開でーす!
近くに住んで3年半ですが、初めて愛宕神社に来ました。
テレビで名勝地として紹介されているのを見て、行こうと思いました。
西暦72年創建で、福岡で最も古い歴史をもつ神社とのことです。
絶景が売りの神社ですが、ここからの景色は激変したのだろうと思いました。
この日は写真の通り快晴で心地よい風が吹いていました。
風や濃い緑の匂いは昔からあまり変わっていないだろうと思いました。
風や匂いに歴史を感じました。
大学のゼミの同期会の帰りに途中下車して久しぶりに代々木公園に来ました。
昨年の同期会は2月に行われ、第11話に掲載したように上野公園に立ち寄りました。
今年は3月開催で写真の通り桜が満開でした。
今回の同期会では母校の建物が一部建て替わったこともあり、キャンパスツアーが計画されました。
みんな、59歳、60歳と節目の年です。
過去については学生時代、仕事、病気等について語り合い、未来についてはいかに花を散らせていくか、について話が盛り上がりました。
自分の歳を心地よく感じるいい同期会でした。
ジブリ大博覧会に行ってきました。
ジブリは独自の世界観と動画の美しさが好きです。
写真は福岡市博物館の大ホールに展示されていたものです。
「天空の城ラピュタ」のオープニングに登場する飛行建造物です。
宮崎駿の頭の中にだけあったものだそうです。
唯一無二の集合体が独自の世界観を創り上げているのではないでしょうか。
納得できました。
連日35度以上の猛暑が続きます。
私の子供のころは35度等の気温は聞いたことがありません。
人間の一生なんて地球の歴史に比べたらほんの一瞬です。
そんな一瞬に地球の変化を感じるのはやはり異常です。
そんなことを考えつつ、とりあえず涼を求めて糸島の白糸の滝へ行きました。
ほんのわずかでも涼を届けられれば幸いです。
コロナでストレスが溜まっている方、
この博多湾に飛ばしてください。
コロナ、コロナ、飛んでいけ!
狭小な庭の雑草に咲く小さな花です。
日頃見向きもしないのにふっと庭を眺めたら気付きました。
不精者で庭をいじるのは草むしりとその後の除草剤を撒くことぐらいです。
そんな酷い扱いを受けながらも咲いた花です。
コロナで外出が自粛されたことでやっと気付きました。
この花を枯らそうとしました。
そんな相手をこの花は勇気づけてくれます。
「お前も頑張れ!」
その寛大さに心が痛むとともに頭が下がります。
コロナウイルスの影響で家に籠るようになりました。
それで気晴らしに家の中から見える景色のNO.1を捜してみました。
それがこの写真です。
芸術的センスのない感性での選択で、あくまで自己満足です。
ただ、まあまあ都会の住宅街の我が家から一番自然が多く見られる景色です。
2階のベランダから撮りました。
皆さんも捜してみられては如何ですか。
コロナの夏!猛暑の夏!
やっと秋薫る海風を感じることができました。
久しぶりの夜の外食後ふと潮風に当たろうと裏手に回ったところ中秋の名月が飛び込んできました。
全く予期していなかっただけに幸運を感じました。
室見川河畔の桜が咲き誇っています。
室見川で2月から3月に行われる伝統のシロウオ漁が2021年は新型コロナウィルスの影響で中止されました。
500年の歴史の中で初めてとのことです。
水鳥は春を迎えて食欲旺盛です。
自然界は変わらず、人間界は激変しました。
この高いコントラストに感慨深いものがあります。
秋は夕暮れが一番似合う季節だ。
残念なことに秋が年々短くなっているような気がする。
ほんの数十年前には秋は9月にやってきた。
今年は暑い夏がずっと続き、11月になろうかという今になってやっと来た。
地球温暖化によるものだろうか。
「秋は夕暮れ」と枕草子と書かれたころはもっともっと「夕暮れ」していたのではないだろうか。
「たそがれどき」という言葉も生まれるほど幻想的であった。
スマホばかり見、夜の街で興じることばかり関心のある現代人はそのうち「夕暮れ」を忘れてしまうのでないだろうか。